うつ病者の本音

うつ病者の心の中はどのようになっているのでしょう。

言葉をかけるときには注意が必要

傷つけてしまいがちな言葉に注意するにはうつ病者の本音が大事

生命力が低下しているので、ちょっとした障害にも反応する

うつ病になるような人はちょっとした障害にも敏感に反応してしまう。心理的に健康な人には、彼らがなぜこれだけの障害を乗り越えられないのかが理解できないものです。

それは、心理的に健康な人とうつ病になるような人では、生きることそのことの辛さが違うからです。両者では生きていることの前提が違うのです。うつ病になるような人には生きることそのことが苦しく、辛いのです。

たとえば学校に行きたくない子供がいるとします。いじめっ子がいて学校に行くのがイヤで仕方ありません。あるいは、勉強が分からなくて学校に行くのがイヤで仕方ないのです。仲間がいないから学校に行ってもひとつもおもしろくありません。

しかし、その子は学校に行かなければいけないということは承知しています。仕方なく家を出ました。途中で雨が降りだしました。傘を持っていません。するとその子は学校に行くのをやめてしまいます。

一見、雨が降り、傘がないことで登校をやめたように見えるのですが、そうではないのです。もともと登校することが辛かったのです。行きたくないけれど行かなければいけないという葛藤があり、その葛藤こそが、登校をやめた真の原因です。

その子も、もし学校に行きたければ途中で雨が降りだしても学校に行くでしょう。生きることに疲れた人は、生命力の低下した人であるということを理解しないと、彼らのすることを理解することはできないのです。

心の中は Game is over

うつ病になるような人の考え方は、 Game is over です。彼らはこれ以上努力するのが辛いのです。もうこれ以上辛い努力をしたくない。こう言えばこの先は努力しなくてもいいでしょう。

ゲームは終わっていないのに、Game is over と言う人はエネルギーのない人です。

他人から見ると Game is over でありません。ゲームは終わっていないません。しかし、うつ病になるような人から見ればもうゲームは終わっているのです。それは生命力の違いです。

生命力の豊かな人にとって終わっていないゲームも、生命力の低下した人にとってはゲームは終わっています。

生命力の豊かな人にとってゲームは終わっていなくても、生命力の低下した人にとっては心の世界でゲームが終わっているということが理解しにくいのです。

こうした ペシミズム は「攻撃性の抑圧」と説明されます。しかし正確には、 ペシミズム は攻撃性を抑圧して消耗した人の考え方です。

生命力の豊かな人にとって、心の世界と現実の世界と2つあることがなかなか理解できません。

現実にゲームは終わっていなくても、生命力の低下した人の心の世界ではゲームはすでに終わってしまっています。

では、 うつ病 になるような人と、ゲームを諦めない人と、どこが違うのでしょうかか。

ゲームを諦めない人、生命力の豊かな人、つまり生きるエネルギーのある人は、負けている試合でも1点ずつ返していこうと考えます。1点ならまだとれるかもしれません。疲れ果てていて、目的地がどんなに遠くても、1 mm ならまだ前に進めると思うでしょう。

しかし生命力の低下した人、つまりエネルギーのない人はもう力尽きています。1点ずつ返すことはあまりにも辛いのです。

もう地道な努力を続けることはできません。もうそのエネルギーは残っていないのです。だから勝つためには逆転満塁ホームランでなければなりません。そこで逆転満塁ホームランを打とうとします。しかしそれは無理です。

だから Game is over となるのです。ゲームを「諦めない」とは、先を信じて1 mm ずつ先へ進むことなのです。うつ病になるような人がまず、「できない」ということから出発するのは、生命力が衰えているからです。

うつ病者 は心に手錠がかかっている

うつ病者 は心に手錠をかけられています。だから Game is over なのです。

心にかけられた手錠は目に見えません。傍から見ていると、「何でしないのだ」と疑問に思われますが、本人にはもうどうしようもないのです。

うつ病になるような人は、嫌いなことばかりを一生懸命にして生きてきて、心身共に疲れ果てています。いままでの人生で楽しいことは何もなかったと感じています。それが大きな問題です。

何か楽しいことがあればもっとエネルギーが湧いてきます。「この困難を乗り越えよう」というエネルギーが湧いてくるのです。

しかし、うつ病になるような人には楽しいということが何もなかったのです。心が楽しくなるような人間関係はなかったということです。

だから、いったん倒れてしまえばもう自分からは立ち上がれないのです。ただただ甘えて生きたいのです。もう自分を偽って生きていけなくなったのが、「私はできません」という反応です。

心に手錠をかけられていない普通の人から見れば、それは「できる」。しかし、うつ病になるような人にはできないのです。

幼児的願望を満たそうとして、つまり誉められようとして嫌いなことをして頑張ったが、幼児的願望が満たされる前に消耗してしまったということです。

「私はできません」という反応は、幼児が駄々をこねているのと同じです。幼児が「できないよ!」と言っている時は甘えている時です。

何度もいうように、うつ病になるような人は周囲に愛を求めているのです。その愛が得られないので、周囲の人を恨んでいる。自分を理解してくれない周囲の人を恨んでいるのです。

血中 コルチゾール のレベルが高い

うつ病を理解するということは心の世界を理解するということであり、目に見えないものを理解するということです。だから、うつ病を理解することは難しいのです。

うつ病患者は血中の コルチゾール という 副腎皮質ホルモン のレベルが高い。 コルチゾール はストレスの際に放出される ホルモン です。免疫機能を抑え、血中のブドウ糖の量を増やす。ストレスなどで副腎皮質から コルチゾール が出続けているのです。

背が高いか低いかは目に見えます。太っているか痩せているかは目に見えます。しかし、血中の コルチゾール のレベルが高いか低いかは目には見えません。

うつ病になるような人は ストレス で コルチゾール が出続けています。そしてこの コルチゾール は大脳辺縁系に作用して、 セロトニン の受容体を「うつ」のほうに刺激します。

コルチゾール が脳に作用して セロトニン受容体 のうち2Aを増やします。だから、 コルチゾール の放出を抑えるためには ストレス を回避することといわれても、うつ病になるような人にはどう回避していいか分からないのです。

ホームレスの子は助けてもらえます。しかしうつ病になるような子は助けてもらえません。

経済的な不公平を「けしからん」と言っている人は、本当に不公平に苦しんだことのない人です。

ストレスを感じるとそれに脳は対応します。うつ病患者は神経内分泌の異常があるのではないかと推測されます。つまり、下垂体の分泌異常は、そのコントロール司令塔である視床下部の段階での異常です。生きることに疲れた人は小さい頃よりストレスにさらされて生きてきたので、コルチゾールの分泌の機能が異常をきたしているのではないでしょうか。

ストレスの日常化です。常時ストレスにさらされていれば、常時 コルチゾール は放出されます。蛇口がしっかりと閉まらないで、いつもチョロチョロ水が流れているようなものです。

ストレスは情動を支配する辺縁系に働き、強い不安感、恐怖感、嫌悪感などを引き起こします。これが視床下部に伝えられ、 CRH という下垂体のホルモンを出させ、ステロイド分泌系が活性化されます。

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