インディオが取り入れた栄養学
人間の栄養学ではなく自然の栄養学
インカ時代のインディオの生き方
原始的な生活
これほどまでに進化した栄養学が役立たない
南米のペルーにあるクスコ市は海抜3400 mの高地にあり、赤道直下にあっても涼しい地域です。しかし、慣れないと酸素が少なく、高山病になります。
ここはその昔インカ帝国の首都でしたから、インカの謎に包まれた遺跡と文化がたくさんあるところです。南米の長寿村ビルカバンバの帰り、このクスコに立ち寄り、インカの遺跡に多くを学びました。
そのとき、とくに興味をひかれたのは、インカ時代のインディオが、今も一般とは融合することなく、別な村落をつくり生活していることでした。その生活はまったく原始的なもので、土の家に住み、家具もなく、簡単な台所があるだけです。便所もなく、糞便は自然の中に還元してしまう。
ペルー政府が学校教育をしようとしても、いろいろな規則のある一般人との生活は窮屈で逃げ出してしまい、規則も何もなく、自由に暮すインディオの生活の中に帰ってしまう。農業をしてとれたもので生きるので、生存競争の波に洗われることもなく、戸籍も必要としないから実数はつかめないと言われますが、自然の中であるがままに心豊かに平和に生活しています。文明国の中で生きるもの達に失われたものが、このインディオの中にあることをいくつも発見して驚きました。
やはり、ビルカバンバと同じように、大豆、木の実、草の実(穀類)、イモ類、野菜が主で、肉はお祭りか特別な行事のときくらいしか食べない。それでいて体格はずんぐりして、小柄ですががっしりして丈夫です。
先進国は栄養状態も良く清潔で、保健医療も良いのに、成人病が激増。不妊に悩む人が増加して、日本でも東北大学で初の体外受精児が誕生したと新聞は大きくとりあげました。
インディオのとても貧しい生活は、先進国のような栄養もとらないし、食べる量も多くはない。そうした生活の中で、不妊に悩んだり母乳が出ないということはまずないと言います。粗食なのによく出る母乳で、子どもは元気に育っています。栄養を多くとれば良いはずなのに、栄養学とは逆の現象がここにもあります。彼らは、人間の栄養学ではない、自然の栄養学を生活の知恵で身につけているようです。
植物の成長と発育を考えるとき、栄養源として窒素肥料を与えると葉茎はよく発育し実もなります。多すぎると成長はしても花は咲かず実もならない。さらに多すぎると枯死してしまう。
この植物に窒素が必要なように、人間や動物には窒素源として蛋白質が必要です。しかし、これも多いほうが良いと言うものではありません。
含水炭素や脂肪は、多い分は脂肪となって体に貯えられ、必要なときエネルギー化します。ですから断食してもこの貯蔵した分を使うので、少⊥くらい食べなくても大丈夫なのです。
ところが、蛋白質はたくさん食べたからといって貯えができるものではなく、余った分は窒素や尿素として外に出さなければならない。そのため、肝臓や腎臓の負担は大きくなります。これは肝と腎だけでなく、血液を汚し、ほかの臓器の働きも弱め、脳細胞の疲れを早めることとなり、頭の回転も悪くします。その結果、糖尿病やガンをはじめ、成人病が多発しているのです。ところが、インディオの生活には細菌性の病気はありますが、成人病はあまり嫁がない。
ネズミの寿命の実験でも、食べたいだけ食べたネズミより、食べものを制限して少なくした場合のほうが、ガンをはじめ、あらゆる病気にかかりにくくなり、寿命が長くなることが確かめられています。
ところが穀類やイモ類に含まれる蛋白質は、量も少ないが、肉や卵や牛乳などの蛋白質は量が多いので、どうしても食べすぎになる。
それともうひとつ問題なのは、植物は酸素を出し、炭酸ガスを吸ってくれて空気を浄化します。
動物は逆に、酸素を吸って二酸化炭素を出して健康を維持します。食物でも、体内で植物性のものは酸素を送りこみ、二酸化炭素を排出させる。つまり血液浄化を助け、血液をアルカリ性にもっていきますが、動物性のものは二酸化炭素を多く出して酸素をとりこみ、血液を汚れやすくするので、少なめが体には良いのです。
彼らは、やはり自然の中で素直に生き、自然を愛する温かい心があり、直感力にすぐれ、文明人の中に失われた力を宝石のように光らせながら生きていました。